重荷をキリストの元へ
こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に囲まれているのであるから、一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ走ろうではないか。彼は自分の前に置かれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを思うべきである。(ヘブル人への手紙12章1-3節)
ヘブル人への手紙12章1節に「一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて」とあります。私たちはこの世に生を受け、生きていく過程で色々な重荷を負う体験を重ねます。徳川家康は「人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如しと」と語りました。重荷を持ち運ぶということは苦しく辛いことです。重い罪は厳しく裁かれ、刑罰が科せられます。「重い」という言葉には、つらく、悲しく、苦しい意味が含まれています。
私は重荷を負う多くの人々と出会ってきました。ある人は病気という重荷を負っています。それを投げ捨てたくても、投げ捨てることが出来ず、日々自分に重くのしかかる病気をじっと耐えてゆかねばならない人たちです。末期のがん患者あり、慢性の神経痛、リューマチ、長引く痛風や喘息、視覚・聴覚障害や言語障害、小児麻痺による重い障害、交通事故により身体に残る後遺症を引きずる人、難病で苦しんでいる人など、人は病気という重荷を負いつつ、じっと耐えて生きています。
人は性格の弱さという重荷も負って生きています。気が小さく弱い性格、陰気な性格、くよくよ思い煩う性格、すぐに苛立ち怒りを表してしまう性格、ひねくれた性格、人をいつも厳しく裁くきつい性格、思い遣りの少ない冷たい性格、自己主張の強いわがままで自己中心的な性格、虚栄心の強い性格、しつこく小言を言う性格など等、誰もこんな性格は好きではないのですが、どうしても自分の力で変えることが出来ず、重荷として引きずって生きてゆかねばならず、苦しんでいる人は大勢います。
また、多くの人は「癖」という重荷で苦しんでいます。直ぐ嘘をつく癖、万引き癖、人を中傷し・悪口を言う癖、好色癖、ギャンブル癖、ニコチン・アルコール癖、麻薬癖など暗闇の霊にそそのかされ、誘惑され、自分の意思の力ではどうしても勝てず苦しんでいる人々がいます。
身体に現れる病気、性格に現れる弱さ、意思に現れる問題、これらの重荷は色々な形で心に影響を及ぼし、心が病気になりますと、身体的、性格的、精神的弱さが、更に辛く悲しく思うようになります。そして、身体的病気が悪化し、性格はますます荒れ、癖も強さを加えてゆき、聖書が語る罪の深みへと陥ってゆく悪循環も起きるのです。
そして、何もかもいやになり、生きてゆきことさえ止めて死んでしまいたいという
自殺の誘惑が強まる場合があります。自分はいや、人も嫌い、勉強も仕事もいや、この世から逃れたい思いが心に重くのしかかるのです。伝道52年間に数々の重荷を負う人々と出会いました。今日でも田原米子さんとの出会いと話を忘れることは出来ません。
多感な高校生であった米子さん、16歳の時に脳溢血でお母様を失いました。愛する母親の優しい言葉を失い、彼女の心に言いようのない悲しさと寂しさ、孤独感に加えて空しさが広がりました。学校で勉強して大学に入り、就職して、結婚して子供を産んでも、母のように子供を後に残して死んでしまう。そんな人生に生きてゆく意味があるのだろうか?答えを求めて書物を読み漁る米子さんの心を真剣に受け止め、心の深みまで理解してくれる人はおりませんでした。
空しい心を紛らわすために出かけて行ったゴーゴー喫茶店、やけくその思いで人に隠れて吸う煙草、空しい心は癒されるどころか益々深刻になり、早くお母さんのところに行きたいと思うようになりました。海辺に立ってじっと海を見つめ、死を考える米子さんは昭和30年(1955年)2月、死の誘惑に負けて、東京の新宿駅で迫り来る電車に身を投げ出してしまうのです。
病院のベットの上で意識を回復した米子さんは、生きていることにびっくりしました。それ以上にびっくりしたのは左腕が肩から無くなっており、右手はあったのですが、小指と薬指の二本は消えていました。足はと思って右手で探って見ますと、左足は膝の下から、右足は足首のあたりから切断されていたのです。切断された所はじんじんしびれています。彼女は「なぜ死なせてくれなかったの!」と思わず叫びました。枕に顔をうずめて泣き叫ぶ日が何日も続きました。
そんな彼女のところへ、毎週金曜日、宣教師とクリスチャン青年の田原さんが訪ねて来ました。彼女は心を閉ざして耳を傾けず、看護師さんから眠れないという理由で睡眠薬をもらい、それを貯めてもう一度自殺しようと考えておりました。しかし、金曜日になると決まった時間に訪れて、米子さんがつっけんどんに応答しても、嫌な顔一つせずに、にこにこ笑顔で神様の愛を語ってくれる宣教師と田原青年の態度に、心が引かれてゆきました。信仰というものが、人をあのように変えるのであろうかと考えるようになったのです。
入院3ヵ月後の5月、宣教師が置いていったテープレコーダーから聞こえて来た言葉が米子さんの心を捕らえました。「イエス・キリストが十字架にかかって死の苦しみを味われたのは、あなたを救うためです。あなたの罪を負って、あなたの身代わりとなって死んでくださったのです。十字架でお亡くなりになったイエス様は三日目に甦って、今も生きておられます。イエス様はあなたの苦しみや悲しみを全て御存知です。イエス様はあなたを愛しておられます。イエス様はあなたを助けてくださいます。…」米子さんの目に涙が溢れました。そして、十字架上で苦しまれたイエス様なら私の苦しみを分かってくださるに違いないと思ったのです。
自分はわがまま一杯に生きてきた。そして、そのわがままを貫いて、家族の悲しみを考えないで自殺を図り、こんな姿になってしまった。これからは神様の愛にかけてみようと決心し、祈りました。彼女は初めて心が安らぎ、ぐっすりと眠ることが出来ました。翌日目を覚ましたら、前の悲しみは沸いてきませんでした。そして、驚いたことに3本の指が残っているという喜びがありました。それまでは、失った17本の指を考え、悲しんで死ぬことばかり考えていたのに、残された右手の3本の指を喜ぶ心に変えられていたのです。何故だろうと思って、聖書を開いてめくっていると、次の言葉が目に留まりました。
「だれでも、キリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。
古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである。
これらの事は、神から出ている。」(コリント人への第二の手紙5章17-18節)
何回も何回も噛みしめるように読んで、米子さんは自分の心が神様によって新しくされたことを知って喜びました。それ以来、米子さんは神様の愛、イエス様の愛を心に受けて生きるようになったのです。それは米子さんの魂における新しい誕生でありました。
ヘブル人への手紙は「からみつく罪」という表現をしています。罪に絡みつかれると人は自由を失います。この絡みつく罪から解放するために、イエス・キリストはこの世に救い主として来られました。ですから大胆に「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ福音書11:28)と語られたのです。米子さんは絡みつく罪をイエス様の元に降ろし、解放されたのです。
もう一人の話も忘れられません。かつてアメリカでソフトな甘い歌声で多くの人々を魅了した歌手、パット・ブーンの話です。彼は歌手として人気が高まり、収入が多くなり、プール付きの豪邸に住むようになったのですが、富むにつれて家族関係がぎくしゃくし始め、妻との関係も悪化し、苦しみ悩んでいました。
ある日、プールで泳いでいました時、一匹の蠅が飛んできて、どういうわけか目の前に落ちて、必死に飛び立とうとしながら、もがいているのを見て、「この蠅は今の自分のようだなあ」と思いながら手のひらで掬い挙げてプールサイドにそっと置いて眺めていました。蠅はしばらく羽を太陽の光で温めていましたが、羽が乾くと飛び立ちました。パット・ブーンは思わず声を蠅にかけたのです。「おい、蠅よ、一言ぐらいお礼の言葉を言えよ!」そんなことを言っても、彼の思いは蠅に通じるはずはありません。
その時、はっと気づいたのです。蠅に人間の言葉を理解させるためには、蠅になって声をかけるしかない。人知を遥かに超えた偉大な神、天地創造の神様は、ご自分のお気持ちを人間に知らせるためには、人間となって生まれるしかなかったのだ。人間となって人間に誠のあるべき生き方を語って下さったのだ。人となられた神、それがイエス・キリストだ。そう思うと、神様からの人間への語りかけの書である聖書を読み始めて、人間を創造された父なる神様の愛を知り、心が喜びで満たされました。彼は妻を誘って教会に出かけ、二人は神様に合された互に大切な連れ合いであることを悟り、夫婦愛を回復しました。今度は子供たちを教会に導き、皆が互に神様の愛の中で愛しいたわり合う素晴らしい家族になったのです。
ヘブル人への手紙12章1節は、「わたしたちは多くの証人に雲のように囲まれている」と語ります。現代においても、私たちは孤独と虚無感、家族崩壊の危機から救われ、辛い病気が意味あるものに変えられた経験を持つクリスチャンに出会うことが出来ます。苦しみの中で深い神様の愛を知り、信じ、受け入れますと人の心は生まれ変わるのです。
わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ走ろうではないか。彼は自分の前に置かれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを思うべきである。(ヘブル人への手紙12章1-3節)
私たちの心は時々暗い思いに満たされます。闇が心を覆う時です。人に対する怒り、憎しみ、嫉妬、ねたみ、許せない思いを抱きますと心は暗くなります。愛する者の深刻な病気、死への不安、希望の喪失などは心の闇を形成します。心が暗くなったと思ったら「まことの光であるイエス様、私の心に愛と寛容、喜びと平安、慈愛と忍耐の心、自分を制する心をお与えください」と祈るのです。この祈りは必ず聞かれます。イエス様が心に訪れて下さいますと心の闇は消え去ります。闇は決して光には勝てないのです。
私は時折、「もし自分がイエス・キリストを信じないで、不信仰の世界に留まっていたら自分はどんな人生を送っていただろう」と考える時があります。多分酒豪の兄たちに訓練されて、酒に強く、タバコも好きな人間になり、結婚しても妻を泣かせるような夫として生き、名誉、地位、財産に執着して、それを得たならばそれらを誇る傲慢な人間になって、地獄のへの道をたどっていったかもしれないと思うのです。
幸いなことに、イエス・キリストに出会い、父なる神様の愛を注がれて、自分の存在価値を神様の愛の中に見出し、自分の生涯を福音宣教のために捧げますと、福岡で生涯を共にする良き助け手となった女性と出会い、結婚し、二人の子供も成長して伝道者となり、五人の孫たちもクリスチャンになる幸いを得ました。伝道者夫婦として大変祝福されましたので、人生の終わりが近づいて来て、重い病気を負うことになりましたが、イエス様が重荷を一緒に負っていて下さることをいつも感じるので幸いです。
辛いことも多々ありましたが、わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬいてくることが出来ました。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ走ってきました。キリストは「自分の前に置かれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである」とあります。私も心をイエス様に明け渡し、イエス様の光に照らされながら、十字架を負う人生を生きてきました。使徒ヨハネは語ります。「彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々に、イエス・キリストは神の子となる力を与えたのである」(ヨハネ福音書1章12節)。私は神の子とされ、私を愛し、最善に導いて下さる霊の父が与えられました。
私は悲しい時、苦しい時、重荷を負って呻くとき「父よ!」と祈り、その祈りに答えてくださる父なる神様を得たことは何と幸いなことだろうと思うのです。「あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを思うべきである。」という言葉も心に染みます。信仰を持ってからもサタンの誘惑から自由になることは出来ません。罪深い人たちの反抗にも出遭います。弟子のペテロは語ります。「キリストはののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅かすことをせず、正しい裁きをする方に、一切をゆだねておられた。」(ペテロ第一2:23)。
苦しみの中でイエス様のことを思い、イエス様が持っておられる忍耐の心を求めると必ず与えられます。暗闇が支配するこの世に生きていても、キリストにある勝利の力は、イエス・キリストを信じ、愛の教えに従う限り、私たちに恵みとして臨んできます。
この十三年間、皆様の寛容と思い遣りの心と、取りなしの祈りに支えられて、私たち夫婦は教会での奉仕を続けることが出来ました。心から感謝しています。